5月13日
忘れられない日というのがある。忘れたくない日というのがある。
5月13日は、私にとって、そういう日。
良い日か、良くない日かと言われると、たぶん良くない日だ。
なぜ「たぶん」という表現を使っているかというと、時間が経つにつれて、だんだんと当時のことを忘れていって、だんだんと当時の気持ちが薄れていって、ふと、あの出来事に対して、どう向き合っていくのかが、わからなくなる時があるからだ。
5月13日が良くない日になったのは、もう10年以上も前の話。学生時代の話だ。
10年以上も時間が経っているなら、いろんなものが薄れていくのも当然なのかもしれない。
さすがに、5月13日という日は忘れない。
ただ、5月13日という日を単に覚えている”だけ”な気がしている。
5月13日という日を思い出しても、何の情緒も湧いて来ない時がある。自分でもとっても気持ちが悪い。単に出来事だけを覚えているだけで良いのだろうか。
当時の気持ちを忘れたくないと思いつつも、やっぱりどんどん忘れていく。
10年以上前のこの日、僕らは過ちを犯した。周りに迷惑をかけた。それで長い間、気持ちが沈んでいた。それは思い出せる。
ただ、断片的にしか思い出せなくなっている。深いところの想いまでは思い出せない。
忘れたくないと思いつつも、だんだんと忘れていっている。
人間は忘れる生き物だ。
人間は忘れることができるからこそ生きていける。
という言葉はよく聞く。否定はしない。正しい。
ただ、忘れたくないと思っていることまで忘れてしまうっていうことは、悲しいことのように思える。
その日以降、毎年5月13日は、関係者でその場所に集まり、せめてもの償い、戒めとして、その場所のゴミ拾いをしている。
社会人になるまでは、たしか毎年、5月13日にその場所を訪れていたはず。「たしか〜はず」という表現を使っているのは、社会人になるまで毎年行っていたかどうかすら思い出せなくなっているから。
社会人になってからは、地元を離れてしまったので、ずっと訪れていなかった。去年、5月13日は、土曜日で休日だった。社会人になって初めて行くことができた。
今年は日曜日。来年からまた5月13日は平日になるので、もしかしたら、行くのが今年最後になるかもしれないと思い、行くことにした。
行かないと一生後悔する気がした。集まった人は少なかったが、それでも当時を知っている人たちがそこにはいた。
ゴミ拾いをしつつ、当時のことについて想いに耽る。
当時のことを、忘れていたものを、思い出したかというと、そういうわけではない。
ただ、なにか、心の底から気持ちをプラスの方向に引き上げてくれるような、何かが湧いてくるような気がした。初心というやつだろうか。うまい言葉が見当たらない。
当時はその出来事を思い出すのが辛かった。今は、落ち着いてその出来事に向かい合い、その事実を受け止め、これからの自分達、関係者の人達にどう活かしていくかを考えられるようになった。良くない日であることは今も変わりはないが。
ゴミ拾いをしながら、改めてそういうことを思った。
この場所で、改めてそういうことを思えたのは嬉しい。
これからも、どんどん忘れて行くだろう。その中でも、今回思ったことだけは忘れないでいようと思う。
今日一緒にいた、同期のS、一つ下のI、二つ下の、S、K、S、Y、当時のメンバーではないが、八つ下のM、今日はありがとう。
そして、今年の5月13日はちゃんと言葉に残しておこうと思う。
この日を忘れないために。
自分の働き方を棚卸ししてみるぞ
世の中の流れからか、働き方改革、生産性向上、ワークライフバランスといった言葉を非常によく聞く。ニュースや新聞でもそれらのキーワードを見ない日はないし、働き方改革法案なんてのホットな話題だ。
私のいる会社も例外ではなく、事業部のキックオフなどでお偉いさんが話す時にも、業績の話だけでなく、働き方というテーマも必ずといっていいほど話題に上がる。上司との面談でも話題に上がる。どうやら、全てに全力でがむしゃらに働くというよりかは、もっとスマートに働くことを求められているようだ。
そういう話はたいてい、「じゃあ、どうやって?」という話までは出てこないので、いつもモヤっとするのだが、言っていること自体は正しいとは思うし、「じゃあ、おまえはどういう考えを持って働いているんだ?」と言われたときに、ちゃんと答えられるようなものは持てていない。なので、今までの自分の働き方、働くことに対する考え方について、これを機に整理してみたいと思う。
そこからうまく改善するところが見えればいいなと思ったり、未来の自分がこれを見て、何かひらめくこともあるかもしれないし。
■ 仕事とは
そもそもの仕事というところから遡るが、規模の大小に関わらず企業の目的は金を稼ぐことである。金を稼ぐために企業独自のモノ(価値)を産み出す。企業で生み出したモノ(価値)を金に変えて、その金を元に別なモノ(他者の生み出す価値)を買い、それを繰り返して経済が循環して世の中が発展して行く。
企業に属する個人としては、そのモノ(価値)を生み出すことが仕事である。もう少し言うと、自分を資本にして、何か価値のあるモノを生み出す作業が仕事である。自分の資本とはざっくりいうと、自分の能力と、そこにかける時間だろう。
たぶんこんな数式。
生み出すモノ(成果)= かけた時間 × その人の能力
ここの「能力」を世の中では「生産性」と言ったりするのかな。
■ 働く理由
今のところは、下記。
1.金を稼ぐため
お金は大事。身も蓋もない言い方にはなるが、世の中の大抵の困ったことはお金で解決できるし、世の中の悪い出来事もお金が原因で起こったりする。そして何より、何かしようと思った時に、お金がないから無理という回答をするのは、カッコ悪くてイヤだ。
2.人生を楽しむため
これは仕事自体を楽しむということと、仕事を通じて得られたスキルや知識によって、仕事以外の時間がより楽しくなるという意味を込めている。
人生の中で、仕事が占める割合は大きい。今の私は少なくとも1年の30%の時間を仕事に費やしている。これは以前、自分の時間の使い方を振り返って気づいたこと。
shoumatch.hatenablog.com この時間を楽しまないということは、今の私の人生の30%は楽しくない時間で構成されているということになる。そんな人生は楽しくないし、そんな人間は魅力的でもないよね。
また仕事を通じて得られた知見で、趣味の世界が広がったり、社会のことがわかったりすることも多い。そういう仕事以外の世界が広がるのも楽しい。
■ 仕事内容の分類と関わり方
仕事とは、先にも挙げたけど、自分を資本にして、何か価値のあるモノ(成果)を生み出す作業である。
ただし、自分の持っている労働時間の100%を、自分の成果のための時間に費やせるわけではない。成果につながらないような事務作業もしないといけないし、他者を助ける作業も必要である。
ざっくり仕事の内容を分類すると以下のようになると思う。
自分の仕事は、自分が担当となっている作業。他者のための仕事は、自分の担当ではないけれど、チームや組織として動く上で手伝う必要のある他者の仕事。
この中で、自分の成果となるのはⅠ象限(自分の仕事×成果につながる)とⅡ象限(他者の仕事×成果につながる)の作業。ただし、Ⅱ象限(他者の仕事×成果につながる)は、成果のメインは他者なので、成果の割合としてはとても小さいと思う。おまけ程度だろう。
とはいえ、どの象限の作業もやらないといけない作業なわけで、だからこそ、それぞれの作業をどう関わるかが大事になってくるはず。
それぞれの関わり方についてまとめる。
Ⅲ象限(成果にならないような作業)の作業
チーム内の管理とか、物品購入とか、勤怠登録とか、組織内活動とか、とかとか。これは、どんだけパワーをかけても成果にはならないので、可能な限り時間をゼロにして、最小限の時間と労力でできるようにする。
方針としては以下の順。
1.外部にアウトソースして、自分はやらないようにする。
2.自動化して最小限の労力で済むようにする。
3.作業の隙間時間にやる(休憩がてらにやるとか)。
4.事務作業をためておき、時間の空いた時に一気に片付ける。
もし、3か4になるならば、こういう事務作業は伝統的な方法でやっているものも多く、よく考えると、やらなくても良かったり、やり方を変えて効率化できる作業も、実は結構あるので、その作業の必要性を見直すというのも手かもしれない。
そして、もしやるとするなら、「手を抜かずにやる」は絶対。その仕事を見ている人(先輩や上司)はいるわけで、成果にはならないけど、信頼にはつながる。そこを中途半端にやっていると、絶対に信頼なんかされない。そして、そういう作業を中途半端にしてしまう人間が、他の作業をちゃんとできるはずがない。自分のためにも、周りのためにも、やるからには手を抜かずにやる。
Ⅱ象限(他者のための仕事 × 成果につながる仕事)
メインは打ち合わせとか、メールやチャットなどのコミュニケーションだと思う。コミュニケーションは手を抜いてはいけないところ。
コミュニケーションで一番気をつけることは、意識齟齬を起こさないこと。中途半端に手を抜いて、意識齟齬が起きて手戻るよりも、先に時間をかけて手戻りなく進めたほうが、結果的に早く終わらせることができるし、精神的にも楽というのが私の経験上の意見。
なので、めんどくさいんだけど、時間をかけてでも、わかりやすく、内容を整理した上で、相手とコミュニケーションを取る。とにかく意識齟齬を発生させないようにする。
気をつけるのは下記。
・コミュニケーションは、「対面で会話 > 電話で会話 > 文章でのやり取り」の順で相手に伝わりやすい。ただし、自分が思っている以上に、相手には伝わっていないものなので、どの場合でも、わかりやすさは常に意識する。てきとーにしない。
・打ち合わせの場合は、事前に資料を見ておき、自分の意見をメモした上で臨む。終わったあとは結果を文字で整理して、その内容を相手と確認する。
・メールなどの文章でやり取りする場合は、主語や述語などを省略しない。
他者の成果物を巻き取って作成するというのも出てくると思う。上位の人の仕事ならは、積極的に取るところだと思うけど、そうでないなら、チーム運営上困ることがない限りは、無理して巻き取らない。ケースバイケースな気もするけど、手が空いているならやる程度。
他者へのレクチャーの際は、レクチャー内容を、箇条書きレベルでもいいので資料を作っておき、それを元にレクチャーする。なぜなら、資料があるのとないのとでは、相手のその後の理解度が全然違うからだ(私の経験的な話)。そして、しばしばそのレクチャーは、別な機会に別な人に対してもすることがあるので、その時の準備コスト削減にもつながる。
ま、つまりは、他者が介す作業をする時は、何かしらでメモを作っておき、残しておくことが大事ということ。
Ⅰ象限(自分の仕事 × 成果につながる仕事)
お話としてはここがメイン。自分の成果物を作るために、自分の持っている「時間」も「能力」をガッツし注ぎ込む必要がある。
まず「時間」の話。時間は有限で、かつ昨今の世の中、残業もしない流れになっている。労働時間を増やすという考えはしない前提で、できることは下記くらいだと思う。
1.Ⅱ象限とⅢ象限に割り当てる時間を減らして、Ⅰ象限の作業時間を増やす
2.Ⅰ象限を行う作業時間を固めて、作業時間の密度を上げる。
(例えば、30分×4セットよりも、2時間×1セットの方が捗る)
3.優先度の高い作業、パワーのいる作業は集中して取り組める時間帯で行う。
(いわゆる朝とか)
これらは、意識ひとつで変えられるものだと思うので、すぐに活かせる内容であるとは思う。
次に「能力」の話。「能力」が上がると、成果物を作るスピードが上がり、同じ労働時間ならば、能力があった方が成果は大きくなる。仕事をする上で必要な能力としては下記を挙げる。
1.スキル/知識
2.慣れ (職場環境、作業環境、とか)
3.思考法 (思考のフレームワーク)
4.仕事術 (仕事を効率的に進めるためのハウツー)
☆「1.スキル/知識」:
知識やスキルが必要な仕事は、仕事を通じて覚えたり、勉強したりで身に付けないといけない。なので、初めは仕事をするのに時間がかかる。作業スピードは、知識やスキルが身につくと共に上がっていき、ある一定のところで頭打ちになる。
誰でも時間をかければ(時間をかけて勉強すれば)、知識やスキルはついてくるものだと思う。そこで鍵となるのは、知識やスキルを吸収する早さだと思う。
当然、吸収が早い方がいいだろう。じゃあ、どうやって吸収速度(成長速度)を上げるのかというと、・・・これはちょっとぼんやりしている。恐らくは、勉強量、勉強時間、あとは、関連する知識量とか、理解力とか、地頭力というような頭の総合力になるのかな。
イメージはこんな感じ。結局、吸収速度を高めるためには、常日頃から頭を使って考える習慣を身につけるレベルのことしか言えないかなぁ。
☆「2.慣れ具合 (職場環境、作業環境、とか)」:
その職場独特の環境、PC環境とか。これは基本的には、慣れればいいだけで、時間が解決してくれるもの。慣れるまで頑張りましょうってくらい。
☆「3.思考法 (思考のフレームワーク)」
思考のフレームワーク。メソッドを知っていることと、それを実戦で使いこなせることは別の話。一般的に、思考習慣は身につくまでに半年かかると言われている。実戦(仕事)で半年間、意識して使い続けられれば、自分の能力としてカウントできるのだと考える。
つまりは、学んで、意識して、半年くらい頑張る!!
今の私としては、MECE、5W1H、なぜなぜ分析、仮説検証、パレード分析、IPOメソッドあたりは自分の能力として持っていると思う。
☆「4.仕事術 (仕事を効率的に進めるためのハウツー)」:
以下のことが、今の私の仕事術かなぁ。細かなところは、多分下記のどこかに属するとはず。
・とりあえずメモる。
(すぐに忘れちゃうから、何かしらにメモを残しておく。
半年後の自分が見返した時にでも、思い出せるくらいの粒度で書く)
・コミュニケーションには気をつける(とにかく意識齟齬を防ぐ)
・何かしらの意見を持つ
(仕事の主導権を握るには、自分の意見を持つことが必須)
・目的は何かを問う(結局何がしたいの?何に困っているの?)
・見通しを立てる(現状、目指すところ、クリアすべき課題の認識)
・戦略を立てる(作業の進め方。自力で進めるか、他者を巻き込むか)
・これらを認識する
(目的意識、見通し、戦略が正しい方向に向いているか認識する。
どの作業をどれくらいの重要度でどのくらいの時間をかけているかを
認識する。)
つまりはちゃんと計画を立ててやる、振り返って適度に方向修正するってところかな。
なお、「3.思考法 (思考のフレームワーク)」と「4.仕事術 (仕事を効率的に進めるためのハウツー)」は、何か困ったことに遭遇したり、新たな環境の中で、新しいことを試した結果、身につくものであると思う。なので、同じ環境の中で、同じことを繰り返している状況下では、身につかないものだと思う。身に付けたければ、環境を変えるなり、適度に困った事態にならないといけないと思う。
ここで上げた「能力」の4つは、ポータブルに活用できる能力もあれば、そうでない能力もあり、とある環境では通用したとしても、別の環境では通用しないものもあると思う。
なので、その環境で、これらの「能力」について慣れたと感じれば、また新しい環境に移って、また新たに能力を積み上げて行った方が、どこでも通用する能力が得られると共に、環境の変え先の選択肢が広がる分、楽しさも増すと思う。
そして、今の自分が、この環境において、能力的に慣れたのか、慣れていないのか、環境の替え時なのか、そうでないのか、常にとは言わないが、定期的に振り返るような営みは必要だと思う。
コミュニケーションについては、「Ⅱ象限(他者のための仕事 × 成果につながる仕事)」で書いた内容と同じ。ただ、自分が主催する/発信する場合は、参加者を限定して、他人の時間を無駄に奪わないということと、資料を事前に用意すること(何を決めたくて、参加者に何をして欲しいのかを資料に書いておく)を心がける。
これまでの話をまとめると、こんな感じ。
ここまで書いて、改めて上から読んでみると、まぁ、どの本にも書いてあるような、当たり前のことしか書いていないんだよなぁ。とはいえ、そういう当たり前のことをしっかりやっていくことが大事なんだし、できてないから良くない働き方になるんだろうな。
数年後にこの記事を見直して、改めて振り返ってみたい。
その時の自分は、どういう考えを持っているんだろう。
そんなGW最終日。
【読書ログ】日本人のための宗教原論
久々の読書ログ。
小室直樹著の「日本人のための宗教言論」という本を読んだ。
最近、宗教に対する知的好奇心が強まっている。というのは、海外旅行にいく中で、宗教を感じさせる場面に遭遇する機会が多く、その度に、自分は宗教に対してなんて無知なんだと感じてしまうからだ。
先日訪れたマカオでは、儒教の廟で熱心に手を合わせている若い人がいた。これまた先日訪れた台湾では、平日の夕方という時間帯にも関わらず、市民の方が廟でお経を読んでいた。そして確か、ペルーのクスコだったと思うのだが、教会を見学した際に、懺悔室で神父に罪の告白をしていた人がいた。
そういう光景が自分とって衝撃だったのだ。そういう人たちは、何を思ってそういうことをしているのだろうかと、ずっと疑問に思っていた。
で、読んでみて、やはり、今までの自分の宗教に対する無知を痛感させられると共に、そうなんだと思える箇所ばかりで、非常に勉強になった。読んだ感想として、自分がなるほどと思ったところをいくつかピックアップしたいと思う。
詳しくは、ぜひ読んでみてほしい。おすすめ。
ちなみに、小室直樹著で「日本人のための憲法原論」という本があるのだが、これは、自分が今まで読んだ本の中でトップ5には絶対に入るくらいに目からウロコだった本なので、こっちもおすすめ。
まずは、自分の思考の整理も兼ねて、読んだ範囲&まとめられる範囲で、各宗教の特徴をざっくりと整理してみる。今の所の自分の理解。(間違っているかも。)
当然、それぞれの宗教について、もっと細かく書かれてはいるんだけど、ブログにまとめるのは苦しいのでここら辺で。
・啓典(正典)
キリスト教の啓典が福音書(「新約聖書」の「マタイ」「マルコ」「ルタ」「ヨハネ」の4福音書)、イスラム教の啓典がコーラン、ユダヤ教の啓典がトーラ(「旧約聖書」の、「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」の五巻)なのは知っていたけど、仏教と儒教に啓典がないのは知らなかった。仏教も儒教も教義は様々あるものの、すべての教義の根本となるものはないらしい。
・神
神について、イエスは「神の子」という表現がされるが、325年のニケア会議により決まった三位一体説により、父(神)と子(イエス)と精霊は同一体であるとされた。そのため、イエスも神である。アッラー、ヤハウェは流石に知ってる。
仏(釈迦)は神ではない。実はちゃんとは知らなかった。仏教における六道の世界には天の世界があり、そこには神様は住んでいるとされるが、神様も六道を輪廻転生する存在であり、イエス、アッラー、ヤハウェという神とは毛色が違う。
・救済の対象
救済の対象として、個人救済か集団救済かという考え方があるのは知らなかった。新たな発見。
啓典宗教かどうか、という宗教の観点の他に、集団救済か個人救済か、という分類もある。具体的な例をあげると、キリスト教、イスラム教、仏教は個人救済であり、ユダヤ教は啓典宗教でありながらも集団救済。儒教も集団救済の宗教である。「旧約聖書」では神が奇跡を起こして救うのは誰かというと、それはイスラエルの民、すなわちユダヤ民族全体であり、個々の人間を救うことはしない。それに対し、「新約聖書」では、イエスが手を差し伸べるのは、思い病などに苦しむここの人々である。
(P40)
・終末論
いわゆる最後の審判ってやつ。啓典のある宗教はいずれも終末論がある。神がこの世を創造したので(天地創造)、終わりもやってくるという考え。神が有罪無罪を言い渡すのはどれも同じ。仏教や儒教には天地創造という考えがないので、終末論という考えもない。
・天国/地獄
ここが一番驚きだったところ。天国地獄という考えはイスラム教にしかないというのはびっくり。キリスト教やユダヤ教にもあると思ってたし、仏教も、なんとなく、あるものだと思ってた。
イスラム教については全く知らなかったので、そもそもイスラム教に天国と地獄という考えがあること自体知らなかった。
正解は、天国と地獄があるのはイスラム教だけである。
(中略)
イスラム教(「コーラン」)を覗いていみると、最後の審判のとき、アッラーが裁判して「有罪」になったものは地獄行き、「無罪」となったものは緑園(天国。緑の園ともいう)へいく。
(P60)
これは正に、私が思っていた、天国と地獄の認識。ちなみに、イスラム教の地獄は、針の山とか血の池とかではなく、灼熱地獄だけだそうだ。生身の肉体を持って地獄へ行き、灼熱地獄に永遠に晒されるのがイスラム教の地獄。
キリスト教は最後の審判の日、生身のイエス・キリストが、元の姿を持って、この世に再臨する。そして、神の国が到来するので、その神の国に入れる人間と入れない人間とを識別する。ギルティを宣告された人は、神の国から追放され、永遠の死滅。永遠にいなくなってしまう。欧米人にとっては、これはとても恐ろしいことなのだ。それに対して、ノット・ギルティと言われた人は、神の国に入って永遠の生命を与えられる。
(P62)
今まで私が思っていたキリスト教の天国というのは、この世に到来する神の国のことであり、キリスト教の地獄というのは永遠の死ということだった。針の山や熱湯に潜らされるとか、業火に焼かれるという世界ではなかったのね。
仏教にもいわゆる地獄・極楽はない。
(中略)
人間界の上に天上というのを考えているわけだが、天上には天人、神という人々が住んでいる。彼らもまた輪廻の法則に支配されている。どういうことかというと、天人も生まれ変わるのである。地獄はあくまで六道の一つだから、イスラム教の地獄とは違い、永遠に落ちているわけではない。
(P64)
解脱して涅槃に行くまでは、すべての生命は六道(天、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄)を輪廻する。神といえどもその中に属している。これは知らなかった。よく、「地獄落ちる」というような言い方があるけど、仏教的にいうと、「地獄で生まれ変わる」が正しい表現なんだろうね。
==========
あとは、読んでて面白いと思ったところを列挙していく。
キリスト教においては永遠の死とは最大の罰であるのに対し、仏教においては永遠の死が最大の祝福の状態である。(P66)
キリスト教の最後の審判では、有罪とされれば、永遠の死が待っている。仏教において、六道(天、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄)から解脱して涅槃に入ると、六道のどこにも生まれ変わることはなく、どこにも存在しない状態になる。つまりは永遠の死。逆に罪が残っていると六道を彷徨い続け、ひたすら生まれ変わる。いってみれば永遠の生。
永遠の死がキリスト教では最大の罰とされているが、仏教では最大の祝福。逆に、永遠の生がキリスト教では最大の祝福とされているが、仏教では、罪が残っている状態とされている。この正反対の捉え方、とても面白い。
神はイスラエルの民にカナンの地を約束した。ところが、イスラエルの民がしばらくエジプトにいるうちに、カナンの地は異民族に占領されていた。そこで、「主はせっかく地を約束してくださいましたけれども、そこには異民族がおります。」といった。すると神はどう答えたか。「異民族は皆殺しにせよ」と、こういったのだ。神の命令は絶対である。絶対に正しい。となれば、異民族は皆殺しにしなくてはならない。殺し残したら、それは神の命令に背いたことになる。それは罪だ。(P21)
キリスト教の「殺すなかれ」という戒律は、正確にいうと、キリスト教徒にだけ適用される。動物にも異教徒にも適用されない。このことはユダヤ教にも言える。(P180)
仏教には皆殺しの思想がない。ユダヤ教、キリスト教には、神との契約を破ったら皆殺しだという考え方がある。神との契約という発想のない仏教には、当然それがない。(P48)
「汝、隣人を愛せよ〜」なキリスト教が、なぜ十字軍のようなことをしたのか、また大航海時代に植民地化して現地人を虐殺したのか疑問だったけど、こういう理由だったのか。神との契約だったり、異民族は適用対象外だったから。都合のいいというか、恐ろしいというか。逆に神との契約という発想がない仏教で、異民族の虐殺みたいな過去ってあったんだろうか。
儒教の目的はなにか。答えは単純明快で、高級官僚を作るための教養を与える宗教である。そんな宗教があるのか、魂の救済はいかに求めるのか、そう問う人もあろうが、行動様式こそが宗教と考えれば、間違いなく宗教なのである。(P331)
儒教は、政治をよくして民を救うと言う集団救済の宗教である。病気を直すとか、長生きしたいとか、個人の救いなどにはなんの役にも立たない。そこで個人救済は道教が受け持った。(P335)
儒教って、上の表にもまとめたけど、啓典がなければ、神もなく、終末論もなければ、天国地獄という考えもない、かなり現実的な考えを持った宗教で、そもそもこれは宗教なのかという気もするのだが、人々の行動を支える思想であるならば、これも間違いなく宗教になるんだな。
マックス・ウェーバーはかくいった。宗教とは何か。それは「エトス」のことであると。エトスというのは簡単に訳すと「行動様式」。つまり行動のパターンである。人間の行動を意識的および無意識的に突き動かしているもの、それを行動様式と呼び、ドイツ語でエトスという。(P25)
宗教って、神とか何かよくわからないけど尊いものに対する信仰っていう認識を持っていたが、その認識は違うんだろうな。人間の行動を意識的、無意識的に突き動かすものであれば宗教になるので、それが啓典宗教のような神との契約やその戒律であったり、儒教のような教養であったり、その形式には寄らないんだろうな。
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宗教単体で理解するのも面白いと思うけど、宗教間で考え方を比較してみると、とても面白い。そういう考えで宗教というものを捉えたことがなく、それは新たな発見であった。
で、ふと思い返してみる。
廟で手を合わせている人、お経を読んでいる人、教会で懺悔をしている人がなにを思ってそういうことをしているのか、という疑問。
テクノロジーが発達して、超自然と思われていた現象も解明されつつあり、情報も簡単に手に入れられるこの時代、宗教の教えにあるような、終末論、現世来世の考え方、神との契約などを、心の底から信じている人は少ないと思う。そうした時に、なぜいまだに教会や廟などの宗教施設に行き、祈りを捧げるのか。
この本の言葉を借りるなら、それはアノミーが引き起こす「無規範」や「無秩序」な状態になるのが怖いから、だと思っている。
アノミーとは、この本では以下のように書かれている。
アノミーを一言で定義すれば、「無連帯」というのがその本質である。人と人とを結びつける連帯が失われ、人々は意図が切れたタコのようになり社会を彷徨う。孤独、不安、狂気、凶暴。気弱な人は死にたくなる、いや、死んでしまう。アノミーはどんな病気よりも恐ろしい。(P382)
アノミー状態になると人々の心が不安定になる。社会が乱れる。カルト宗教やテロリズムに流れる。そういう心の不安定を回避するため、心の安定を保つための手段として、みんなが持っている共通的な考え(宗教)を持つことで、連帯感を得て、アノミー状態を回避し、心の安定を図ろうとしているのではないだろうか。 もちろん信仰心というのもあるとは思う。
信仰心と心の安定、というのが疑問に対する今のところの回答だろうか。普通すぎるかもしれないが、海外で私が感じたことと、この本を読んだ結果として、今の私の感覚としては、素直にそのように思うのだ。
とはいえ、日本人は宗教音痴と呼ばれているので、そういう結論になっている時点で、まだ宗教音痴な考えなのかもしれないが。
宗教に対する知的好奇心はあるので、別な本を読んで考えを深めて行きたい。
【旅行記】マカオひとりたび(2018/03/17〜21)番外編 〜 レンズが壊れた!
旅行とはあまり関係のない、マカオひとりたび番外編。
本編はこちらをどうぞ。
shoumatch.hatenablog.comshoumatch.hatenablog.com
私は旅行するときは、いつも一眼レフカメラを持って出かけている。
一眼レフカメラといっても、フルサイズのカメラではなく入門機のカメラ。適当にバシャバシャ撮ってるアマチュアでもない、てきとーカメラマン。
使っているカメラは、Canon EOS Kiss X3 というカメラ。学生時代に買ったカメラで、買ってから8年以上経っている。相当古いカメラ。
cweb.canon.jp
そのカメラレンズがマカオ旅行中に壊れてしまった。今回はその一部始終と旅行後にレンズを交換した話を書こうと思う。
(ちなみに、本編で上げている写真は基本的にiphoneで撮った写真です。)
さてさて、レンズが壊れたのは、マカオひとりたび初日の関西国際空港の中。本当にまさにこれから始まるというタイミング。
空港内の写真を撮ろうとシャッターを押すと、いつものシャッター音とは違った音がして、なんだろうと思い、液晶画面を除くとこんなエラーが表示されていた。
「ERR01 カメラとレンズの通信不良です。レンズの接点を清掃してください」
こんなエラー画面は初めて見る。一時的なものかと思い、電源を入れ直して再度撮り直して見ても、同じエラーが表示される。メッセージの通りカメラとレンズの接触不良かと思い、レンズの付け外しをして見るが、結果は変わらず。
これから旅行が始まるという矢先、このカメラでいろんな景色を撮るのを楽しみにしていた矢先でこのエラーが表示されてしまい、かなり焦りながら、何度も試して見るが、結果は同じ。
残念ながら、カメラかレンズに何かしらの異常が出ているのは認めなければならない。なんとか旅行中だけでも凌げないかと、エラーメッセージをググって見て対策を調べて見た。
参考にしたのはここら辺のサイト。ググって上位にヒットしたものをかたっぱしから確認していく。
調べて見てわかったこととしては、レンズの接点を清掃して改善されなかったらカメラの故障だということ。
うーん、なんということ。。。
綿棒を持ってきていたので、カメラとレンズの接点となる電子部分を拭いてみた。拭いた後に写真を撮って見ると、なんと撮れた!!
しかし、初めの1〜2枚程度で、すぐにエラー画面が出てしまう。やはりダメっぽい。。。
望遠レンズに付け替えてみると、これは問題なく撮れる。どうやら通常のレンズの方になんらかの異常が起きているんだろう。
あ〜あ。。。
がっかりした気持ちになりながら旅行が始まった。旅行中の写真は仕方なくiphoneのカメラで済ませることに。ただ、諦めきれず、何度かマカオにいた時もトライしてみたけど、全くダメだった。
望遠レンズでは撮れるので、望遠で撮りたい時にはカメラを使ったけど、とはいえ望遠で撮ることなんてあまりないので、それ以外の時間はただの重たい箱状態。
旅行に行く前に気づけていれば色々とできたんだけど、そして旅行中に壊れるにしても、後半で壊れてくれたのであれば、まだ途中まで取れていた分、気持ちも楽だったんだろうけどなぁ。
旅行自体はとても楽しかったし、掛け替えのないものであったけど、そこでカメラで写真が取れていたらもっと良かったんだろうなぁ。
そんな感じで過ごしていた、マカオひとりたび。
==========
さてさて、帰国してからは、故障原因の確認とレンズを修理の依頼をしないといけない。
Canonでは、カメラの修理は「らくらく修理便」というのがあり、故障した機器を自宅まで取りに来てくれ、また修理後の機器も届けてくれるサービスがあるみたい。
それを使っても良かったんだけど、修理品を持ち込み可能なサービスセンターが職場の近くにあったので、直接窓口に行って確認してみることにした。
会社のお昼時間を使って訪問。故障したレンズを見てもらった。
するとやはり、レンズの故障で、レンズの絞りを担う機器がうまく働いておらず、それが通信不良とみなされていたようだ。
修理が必要とのことで、見積もりとしては2万弱というものだった。ただ、修理で出すのと同じくらいの金額で同等のレンズが買えるという情報を店員さんに教えてもらい、新しいレンズを探す方針で考えて見ることにした。
早速その日の夜、家電量販店に赴き、代わりのレンズがないか探して見た。これを機にフルサイズのカメラも買ってもいいかなと思いはするものの、フルサイズのカメラを買ってしまうと、今のカメラは使わなくなり、使わなくなるにしては今のカメラに愛着が湧きすぎているので、カメラの本体が壊れるまでは、今のカメラを使い続けたいと思ったりしている。いい写真が撮れるし、軽いし、ずっと使っているし。フルサイズの誘惑もあるんだけど、まだまだ今のカメラで十分。
店員さんからは下記のレンズを紹介してくれた。
SIGMA 標準ズームレンズ 17-50mm F2.8 EX DC OS HSM キヤノン用 APS-C専用 583545
- 出版社/メーカー: シグマ
- 発売日: 2010/06/11
- メディア: エレクトロニクス
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値段は25000円くらいで、ネットでの評判も良く、Amazonと値段もほぼ変わらなかったので、即決で購入。
家に帰って早速カメラに装着してみる。
ボディに比べてレンズが大きい気もするけど、全然気にならない。試しに部屋の中を適当に撮って見たけど、ちゃんと撮れる。ちゃんと写真が撮れるようになって、それが何より嬉しい!
そして、役目を終えたレンズ。今までありがとう。
壊れたとはいえ、8年間も一緒にいろんな場所に行った相棒なので、捨てずに飾っておく。
カメラ復活!次の旅行から使って行く!
そんな番外編でした。
【旅行記】マカオひとりたび(2018/03/17〜21)5日目
マカオひとりたび5日目。この日は3/21(水)。
この日は帰国しただけなんだけど、折角なので書くことにする。
マカオひとりたびのこれまでのお話は以下の記事をどうぞ。
朝6:00に起きるつもりが6:30起床。タイマーを6:00にセットしていたつもりだったが、鳴った記憶がなく、しかも気づいたら携帯を片手に持って寝てた。つまり、無意識のうちにベットから起きて、携帯を取り、アラームを止めて再びベットに入っていたということか。うーん、我ながら恐ろしい。
急いでシャワーを浴びて、荷造りをして、7:15くらいにホテルをチェックアウトする。9:30発のフェリーに乗るので、お土産を買う時間を考えると8:15には外港フェリーターミナルに着いていたいところ。
この日も昨日に引き続いて、いい天気。
フェリーターミナルに着く前に朝食をとりたくて、店を探しながら歩く。帰国前にどうしても中華粥が食べたくて、中華粥を扱っているお店を探す。
道中、中華粥がありそうなお店があったので中に入り、牛肉の中華粥を注文。
中華粥好きだな。日本でも食べたいけど、手軽に食べれる店なんてないからなぁ。
食べたかった中華粥も食べれて満足。フェリーターミナルに向かう。
昨日フェリーターミナルに行った時と同じ道を辿っていく。8:20くらいにフェリーターミナル到着。
昨日お土産屋がこの中に入っていることを確認していたので、お土産を調達。これでお土産はバッチリ!
外港フェリーターミナルのフェリーの時刻表。香港国際空港行きは、9:30の次は11:30。意外に本数が少ない。9:30を乗り過ごすと帰りの飛行機は間に合わない。
昨日買ったフェリーチケットの窓口。右から3番目、18番窓口が香港国際空港行きの窓口。この写真を撮った8:30時点ではまだ窓口が閉まっている。この時間で閉まっているということは、9:30の便に乗るには当日買うのではダメなんだろうな。やはり昨日のうちに買ってよかった。
マカオは海路で出国することになるので、外港フェリーターミナルで出国審査がある。香港国際空港はトランジットで寄るという形。とはいえ、出国審査はほぼ素通り。パスポートを見せるだけでOKだった。
フェリーは予定通り9:30に出発。船内はガラガラでした。まぁ、平日の空港連絡船なので、混んでいるわけないか。
天気がいいので、景色がいい。香港空港から出る飛行機が飛んでますな。
予定通り、10:40に香港国際空港到着。
到着後、目の前にある航空カウンターで搭乗のチェックインをして搭乗券を受け取る。(到着した当初は、目の前のカウンターでチェックインをする必要があることに気づかず危うくチェックインせずに先に進みそうになった。)
乗る便は13:55発の東京/成田行き。
香港国際空港は外観を見ていないのでなんともいえないけど、搭乗ゲートの多さから見ると大きな空港だと思う。番号が飛んでるとはいえ、100番台のゲートがあるとは。搭乗口へは空港内にある電車を使って移動する。
私が乗る便は207番ゲート。電車に乗って移動する。201番〜230番の乗り場がある建物に到着。建物自体はそんなに広くない。でも、中はとても綺麗。
ここで約2.5時間のトランジット待ち。
ここで昼食、帰国する前の最後の食事をすることに。食事を取れるお店を探したが、レストランは日本のラーメン屋と韓国料理屋の2件しかなかった。日本の料理は帰国したらいくらでも食べられるので、韓国料理屋の方へ。注文したのがこちら。
日本でも売られている辛ラーメン。目玉焼きとスパムを乗せるのがメジャーみたい。辛ラーメンは日本でも食べたことがあるので、割と覚えのある味。これで52$(約700円)、辛ラーメンって言うのを考えると高い気もするけど、まぁ旅行中なのでよしということで。味もまずまず。
この後、外貨両替所で余ったお金を日本円に再両替。230$くらい余っていて、これが3000円になった。1香港ドルで13円くらいのレート。
搭乗の時間になり、飛行機に乗り込む。あっという間のマカオひとりたび。
座席は行きの時と同じく非常口席。行きも帰りも非常口席で座席はゆったり。全ての座席が非常口席だったんだけど、これはつまり、行きの飛行機のチェックインをした時点で、こういう座席になるようなことが裏で決まっていたのだろうか。じゃなきゃ、ここまで非常口席に当たることはないよね。
席は窓側。外の景色が見える。飛行機の窓から見る形式が好きだ。空の透き通った青い色、白い雲、不思議とずっと見ていられる。何を考えるでもなく、ぼんやりと眺めている。よいひとりたびだった。
さてさて、5日間の旅程、前後1日は移動なので、実質マカオの街を周ったのは3日間。個人的にはちょうどよかったかな。後1日〜2日くらいあれば、今回行けなかった、コロアネ地区(コタイ地区の南側のエリア)やマカオ半島の北部(今回はマカオ半島の中心部から南部を歩いた)を歩いていたと思う。
なので、マカオを一通り歩くなら7日間あればいいのかな。もしくは、2日目〜4日目は相当歩いた(1日約20km)ので、のんびり周るのであれば、もう1日プラスで8日間とかだろうか。
マカオで印象に残っているのは、ポルトガルの文化と中国の文化が融合している国ということを感じたことと、カジノを見れたことだ。
中国の古い廟のそばに西洋の教会がある。廟で祈りを捧げている人もいれば、教会で祈りを捧げている人がいる。中国文化の遺跡も残っていれば、ポルトガル文化の遺跡も残っている。植民地にした国の英雄の名前をつけた公園がある。ポルトガルがマカオを植民地にした際に、過去の遺跡(中国)や文化を壊さずに残しておいたんだろうと思うのだが、そういうのってあるんだね。学生時代に学んだ世界史からは、植民地にされるとそれまでの文化や遺産は破壊されるものだという印象を持っていたけど、マカオはそうではないと感じた。
それは自分の認識が違っていて、マカオに行って初めて知ったことだ。その場に行って初めてわかること、今までの認識が違っていたと気づかされることって、やっぱりある。そういうのがわかるのっていうのはとても面白い。そういうのを肌で感じることができるので、海外ってやっぱり楽しい。
カジノも、雰囲気を知れたのと、実際にプレイできたのはとても大きい。今、日本でもカジノ法案が議論されているけど、世界のカジノがどういう規制があって、日本がどういう規制をかけようとしているのか、調べて見たいと思った。そして自分が見たものと照らし合わせて思うことがあれば、後日ブログに書きたいと思う。
これでマカオひとりたびも終わり。
次はどこへ行こうかな。
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番外編もあります。よければどうぞ。
【旅行記】マカオひとりたび(2018/03/17〜21)4日目
マカオひとりたび4日目。この日は3/20(火)。
マカオひとりたびのこれまでのお話は以下の記事をどうぞ。
この日は以下の順に見て回りました。(概要編の再掲)
Emperor Hotel → 大東北家常菜館 → 外港客運碼頭 → Macao Public Library →
マカオ博物館 → Ruins of St. Paul's → 女媧廟 → セナド広場 →
ウィン・マカオ → Wynn Palace → ザ・ベネチアン・マカオ →
Our Lady of Carmel Church → 觀音岩 → 菩提園 →
Macau Stadium and Pavilion → Pak Tai Temple → 木偶葡國餐廳 →
ギャラクシー マカオ → 澳門百老匯 → ザ・ベネチアン・マカオ →
Studio City Macau → Wynn Palace → ウィン・マカオ → Emperor Hotel
地図にするとこんな感じ。(地図の左上のメニューから日別に表示したり、具体的な場所の情報が見れます)
朝7:30起床。6:30に起きようと思っていたけど、この日もまさかの二度寝。旅行といえど朝が起きれなくなってきてるなぁ。シャワーを浴びて、8:30にホテルを出る。この日がマカオで観光する最後の日。明日は終日移動で帰国する日。
まずは朝食。特に店は決めてなかったので、適当に近くの空いている店を探す。1日目の夜に行ったお店は閉まっていたので、その近くの大東北家常菜館というお店に入る。白粥と水餃子を注文。
これまで食べたお粥は味(だしの味)が付いていたので、白粥にも何かしらの味がついているのかなと思ったけど、本当のお粥だった。ただ、お米の味がしっかりとしてて、不思議とこれだけでも食べれちゃう美味しさ。お粥だったら日本よりもマカオ(中国)の方が美味しいんだろうね。水餃子は思ったより量があった。食べきれるかなと思ったけど、でも、これも不思議と食べれちゃう。
昨日行けなかったマカオ博物館に行く前に、翌日の帰国に備えて帰りのフェリーのチケットを買いに、外港客運碼頭(外港フェリーターミナル)へ行く。翌日の帰国は朝早くからフェリーに乗ることになるので、どたばたするのも嫌なので、余裕を持って今のうちということで。時間のあるうちに準備をすませておくのが、旅行中の私のポリシー。ホテルから歩いて30分しないくらいの場所に外港フェリーターミナルがある。この日もやや曇り空。
香港国際空港行きの窓口は1つしかない。私が行った時には幸い空いていて、すぐにチケットが買えたけど、私の後にはすごい行列ができていた。帰りの航空券のチケットとパスポートを渡したら、良い時間の便を確保してくれてた。
帰りのフェリーチケットをゲット!出航時間は明日の9:30の便。
ちなみに、窓口が開く時間が確か9:30(9:00だったかな?)で、明日いきなり買おうとしたら時間切れだったと思う。この日に買っておいて正解だった。危ない危ない。やっぱり、事前に準備しておくって大事だ。
外港フェリーターミナルには24時間営業のお土産屋もあった。お土産は明日ここで買うことにする。
お土産を買うタイミングって結構難しいって思っている。空港のお土産は値段がとても高いから、できれば空港に着く前に買いたいんだけど、荷物になるから早めに買いたくもないし、街歩きしている途中でも買いたくない。今回のようにフェリーターミナルで買えるっていうのはとてもありがたい。
フェリーチケットも買ったことだし、昨日は休館日で行けなかったマカオ博物館へ。3度目の正直。外に出ると青空。4日目にしてようやく晴れた!
青空の下での街歩きはとても気持ちいい!
貯水湖沿いの道を歩く。ここの遊歩道は広くて、ランニングコースとして利用されていたり、遊具がたくさん置かれている。遊具といっても、ジムにあるような運動器具のようなもので、子供だけでなく大人も高齢の方もこの遊具を使って運動していた。マカオは健康に対する施策を打っているのだろうか、こういう器具が公園とか大きめの広場には必ずといっていいほど置かれていた。
貯水湖を抜けて、2日目に回ったマカオの中心部へ向かう。途中に綺麗な建物を発見。地図で確かめて見ると、Macao Public Library (マカオ中央図書館)とマカオ文化局をという建物みたい。この場所は全くノーマークだったけど、偶然にも素敵なものを見れた。街歩きをしていると、偶然にこういう発見があるから楽しい。
2日目に行った聖ミカエル教会の通りを歩く。見覚えのある道だ。
この辺りは既に歴史的な建物が密集するエリア、団体客の集団が目立つようになってきた。団体客のほとんど、というか、全員が中国系の人たち。
マカオ博物館に到着。この日はちゃんと開いてる。入場料が必要とあったんだけど、受付には誰もおらず、警備員の人しかいない。他の人もチケットを買うでも、警備員の人に何かするでもなく中へ入って行く。無料なのかな?他の人に合わせて中に入る。やっぱり何も言われない。無料なんだな。
中に入ると早速展示物。右側も左側も展示している内容は同じで、順に宗教、哲学、皇帝、交易などの解説と展示がされていた。なんで両側で同じ内容の展示がされているのだろうと不思議に思っていたが、よく見ると、片方(写真左側)はポルトガル文化についての展示で、もう片方(写真右側)は中国文化についての展示だった。気付いた時はなるほどと思った、これらが融合したのがマカオ文化ということだ。
マカオの建物の歴史についての展示があり、初めは石造りの家だったのに、ポルトガルの文化が入ってくると途端に西洋の建築様式になっている。写真には写っていないけど、左側には石造りの家を模した展示がされており、中央の黄色の建物以降がポルトガル文化が入った後の建築様式のようだ。
本当にポルトガルの文化が入ってきた途端に、様子がガラッと変わっている。それほど新しい文化の流入による影響って大きいんだな。新しい文化が入って来たときの変わりようには本当に驚かされる。
マカオ博物館には90分くらいいた。大きすぎず、小さすぎず、適度な広さの博物館だった。気のすむまでじっくり見れてよかった。
12:00過ぎくらいにマカオ博物館を出る。この日は本当にいい天気。モンテの砦から見るマカオの街もとても綺麗に見える。
折角なので、2日目に撮った聖ポール天主堂跡の写真と同じような場所から再度写真を撮ってみる。やっぱり晴れてた方がいい写真になるね。
(ちなみに2日目に撮った写真はこれ。4日目に撮った方が空が青いね。)
聖ポール天主堂跡の前の通りは、何度も通った大三巴街。買い食いできる店が並んでいるエリア。お昼時にこの道を通ったら、買い食いせずにはいられないね。
ってなわけで、買い食い。Smukiというシュークリームの皮のような生地の中にカスタードクリームが詰まったお菓子。適度な甘さ。歩き回っている時に食べると、これはたまらなく美味しい。
買い食いその2。ポークチョップバーガーというマカオではメジャーなファーストフード。豚肉をバンズで挟んだもの。マカオでメジャーなチェーン店で買ったので、味は普通でした。(肉には骨が残っていて、それを知らず前歯で思いっきり噛んですごく痛かった。。。)
聖ポール天主堂跡から大三巴街を通った突き当たりには、女媧廟という建物がある。
建物の中にはちゃんとした祭壇があるんだけど、外から見ると、普通の建物のように見えて、うっかり通り過ぎてしまいそうな感じ。女媧といったら、これまた封神演義。2日目にいったナーチャ廟(哪吒廟)と同じ。封神演義好きとしては記念に訪れておきたい!
女媧廟をすぎた先にはセナド広場。ちょうど2日目に歩いて来た道の逆を辿っている感じ。晴れていた方が建物も映えますね。
(ちなみに2日目の写真はこれ。)
これで、マカオ半島で見たいところは全部観れたので、この後は、マカオの南側の島、タイパ地区、コタイ地区を見ることに。
マカオの南側の島へは、公共のバスやタクシーで行けるんだけど、カジノの無料シャトルバスが走っていて、それに乗った方が楽なので、それに乗ることに。マカオ1日目でもお世話になった、ウィンマカオのシャトルバスに乗る。
ウィンマカオのバス乗り場から無料で乗車ができる。永利と書いてウィンと読むんだね。
バスに乗って南側の島へ。左側の写真は南北の島をつなぐ橋を渡っているところ。右側の写真は3日目にいったマカオタワー。午前中も歩きっぱなし、立ちっぱなしで、疲れていたせいか、バスの中ではうとうとしてた。
シャトルバスは南側の島に入り、コタイ地区にあるウィンパレスへ向かう。
コタイ地区は豪華カジノが密集している。ウィンパレスもとっても豪華。敷地がとても広い。ホテルの前には人工の大きな池。そして池の周りをロープーウェイが走っている。(写真の右上に写っているワイヤーはロープーウェイのワイヤー。)ウィンパレス自前のロープウェイ。お金かけているなぁ。ロープウェイに乗ってる客はほとんどいなかったけどなぁ。
ウィンパレスの中にも、もちろんカジノはあり、またウィンマカオでもそうだったように、ロビーではちょっとしたショーが行われている。
これは、お花が敷き詰められた床の中央に箱があり、音楽に合わせ中から人形が出てくるというもの。お花の色、照明、音楽が合わさって、なかなか面白いショーでした
ウィンパレスを後に、コタイ地区のカジノエリアを歩く。マカオ半島の街並みとは異なり、ここは近代的というか、華やかというか、本当に新しいって感じがするね。
コタイ地区の豪華カジノが密集するエリアを抜けて、タイパ地区に入る。
歩いているとスロープ型のエスカレータを発見し、それがタイパ地区に続いていそうなので、それに乗る。これでタイパ地区のOur Lady of Carmel Church (カルモ教会)の近くまで行けた。らくちんらくちん。
カルモ教会。ミサの時にしか一般開放されていないみたいで、訪れた時には閉まっていた。ただ、外観の雰囲気がとてもよくて、そばにあるベンチで外観を眺めながら一休みしてました。
タイパ地区は最近開発されたのか、マカオ半島に比べると真新しい雰囲気。いわゆる市民が生活する場所という感じがする。
そんな真新しさがある地域にある觀音岩。観音様を祀っている祠で1800年代に建てられたらしい。
菩提園。地球の歩き方で取り上げられていたから観光地かなと思ったけど、いかにも現役で使ってます的な感じが漂う施設。中に展示物があると書いてあったが、中はどう見ても食堂しかなく、しかも営業してなさそう。そして地元のお年寄りを乗せたバスが出入りしている。明らかに観光地ではない雰囲気。諦めて外観だけ眺めて菩提園を出ることに。ここ、本当に観光で来ていい場所だったのかな?
菩提園を後に、この日の街歩きの最終地点のタイパ村を目指す。
歩いている途中で、Macau Stadium and Pavilion(マカオスタジアム)を偶然にも発見。特にイベントとかはやってなかった。遠目で眺めて通り過ぎる。
タイパ村に到着。お土産屋やお菓子屋などが所狭しと並んでいる。ここは先ほど行ったの大三巴街と似たような雰囲気。
色鮮やかな家も並んでいる。密集した店のエリアから一歩路地に入るとこういう光景が広がる。
タイパ村には、お店や色鮮やかな建物の他に、北帝廟というタイパ村でもっとも古い道教寺院がある。ここも線香の香りが漂う雰囲気のある廟。建物内には大量に渦巻き型の線香が飾られていて、なかなか圧巻。(右下の写真は個人的には結構お気に入り)
タイパ村を一通り見たところで、時間が大体16:45くらい。
日中に見たかったところは見れた。あとは夜のカジノエリアの街歩きとカジノ巡り。まだ外は明るかったので、適度に時間を潰すべく、ちょっと早いけど夕食を食べることに。
タイパ村でマカオ料理が食べることができるピノキオというお店へ。お店は西洋風の趣のある建物に入っている。
ポルトガル風焼飯とポルトガルチキンを注文。ビールは青島ビール。マカオビールは扱ってなかった。
ポルトガル風焼飯はチャーハン+ケチャップという感じ。ただ、ケチャップの味はしなかった。つまりはただのチャーハン?(笑。
ポルトガルチキンはサイズが大、ハーフ、小が選べて小を選んだが、これが正解だった。写真の料理が小サイズだけど、小と呼べるサイズじゃないくらい量が多い。1羽のの1/4サイズで、ごろっとした肉の塊が5〜6個入っていた。ココナッツ入りのカレー味で、普通に白いご飯と合いそう。小サイズでなければ絶対に食べきれなかった。
そういえば、マカオのお店のどこでもそうだったけど、レストランでは水ではなくお湯が出てきた。これはなかなか不思議。なんでだろ。
18:00くらいになって外に出る。外はいい感じに日が暮れてきた。タイパ村から一番近くにあるギャラクシーマカオにへ向かう。
豪華なホテルだけあり、敷地の中に入ってから建物の中に入るまで結構歩く。まずはカジノ見学、昨日カジノで遊んだので、この日は遊ぶ気は無く、雰囲気を楽しみに。入場は他のカジノと変わらず、パスポートの提示のみ。荷物検査とはされない。カジノで必要なセキュリティチェックってこれくらいなんだろうね。
ショッピングエリアも覗いて見たけど、ブランド物の店が入っていて、いわゆる普通のショッピングエリア。どこにでもあるような光景なので、特に真新しさはなかった。
豪華ホテル、豪華カジノだけあり、中の展示も綺麗。
ギャラクシーマカオの中を歩き、ホテルの中の連絡通路で行ける澳門百老匯(ブロードウェイマカオ)へ行ったあたりで、ちょうど外が暗くなったので、外に出ることに。
ネオンが綺麗になる時間になった。ギャラクシーマカオの外観。綺麗。
ここのカジノは広さが世界一とのことだ。世界一ということで、どういうものだろうと思いカジノの中を歩いたが、どこのカジノも迷子になるくらい広いので、ここが世界一と言われてもあまりピンとこない。確かに豪華で煌びやかですごいんだけど、ここのカジノがとりわけすごいかっていうと、そうでもないかな。
豪華カジノといっても、ゲームのミニマムベットはどのカジノでも変わらなくて、300〜500$くらい。ただ、高額エリアでのミニマムベットが青天井って感じかな。ベネチアンマカオのカジノの高額エリアではミニマムベットが20000$(日本円で20万以上)というものがあり、そこで楽しんでいる人はもう住んでる世界が違うよね。
あと、明らかに僕よりも若い、おそらく20代半ばと思われる集団が、ミニマムベット1000$(1万以上)のバカラの卓でバンバンかけており、「なんだこの人たち!」っていうのがあった。若者が賭けれるような金額ではないと思うんだけど、何者だったんだろ。
カジノの中は写真撮影禁止なんだけど、カジノエリアの外なら大丈夫。カジノエリア外からカジノエリアを望遠レンズで撮って見た。うっすらバカラの卓と、その周囲に集まる人が写っている。
そういえば、今まで訪れた豪華ホテル、ウィンパレス、ギャラクシーマカオ、ベネチアンマカオはどこも店内は香水の匂いが漂っていた(ちょっと匂いがきついところもあった)。コタイ地区のホテルってどこもそうなのかな。
カジノの中を見たのはこのホテルまで、どのカジノも、扱っているゲームは同じ。扱うゲームの割合も同じ。バカラが圧倒的に多く、半分近くがバカラだった印象。あとはルーレット、大小、ブラックジャック、ポーカーとか。そして、カジノにいる人のほぼ全員が中国系の人。
これがラスベガスだったらどうなんだろう。扱うゲーム、ミニマムベット、客層とかとか、どうなのかが気になるね。
ベネチアンマカオを後に、後は周囲のホテルのネオンを楽しむ。
Studio City Macau(スタジオシティマカオ)
MGMパレス
Wynn Palace(ウィンパレス)
これらのホテルが密集していて、どのホテルにも大規模なカジノが入っている。そして建設中のホテルもある。それだけ人が集まってくる(需要がある)ということなんだな。そして、それだけ人が呼べるということなんだな。
ウィンパレスから出る無料シャトルバス乗り場からウインマカオへ向かう。マカオに来た時もこのシャトルバスを使った。24時間営業なので、時間を気にしなくてよくて本当助かる。
無料シャトルバスに乗って、ホテルに戻る。初日に乗った時は曇っていて外は何も見えなかったけど、この日は夜も晴れていて、マカオ半島の夜景が綺麗に見えた。
ウィンマカオに着き、宿であるエンペラーホテルに戻る。今夜がマカオ最後の夜なので、思い出に夜食を食べることにする。別にお腹が空いていたわけではないけど折角ということで。
開いている店がないか探していたら、お店から店員さんが出て来てしきりにメニューを見せて誘ってくるので、言われるままに中に入る。(店の写真撮るの忘れた。。。)
牛肉入りの麺料理とマカオビールを注文。マカオの夜の最後の食事。
味はまずまず。
ホテルに戻ったのが、 23:00くらい。
明日は6:00に起きて、7時台にはチェックアウトするので、夜遅いけど荷造りを始める。25:00くらいに就寝。
4日目も終了。明日はもう帰るだけ。あっという間。
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5日目以降は下記をどうぞ。
【旅行記】マカオひとりたび(2018/03/17〜21)3日目
マカオひとりたび3日目。この日は3/19(月)。
マカオひとりたびのこれまでのお話は以下の記事をどうぞ。
この日は以下の順に見て回りました。(概要編の再掲)
Emperor Hotel → 黄枝記粥麵 → Kam Wai Beef → マカオ博物館 →
Mercado de S. Domingos → Dom Pedro V Theatre →
聖オーガスティン教会 → Chapel of St. Joseph Seminary →
St. Joseph's Seminary and Church → 聖ローレンス教会 → Lilau Square Kiosk →
鄭家大屋 → 主教山小堂 → Moorish Barracks → 媽閣廟 → マカオ・タワー →
雅文湖畔 → ホテル リスボア → 鑽石娛樂場 → Emperor Hotel
地図にするとこんな感じ。(地図の左上のメニューから日別に表示したり、具体的な場所の情報が見れます)
8:00に起床して、のんびりシャワーを浴びて9:00過ぎにホテルを出る。
この日も日中はマカオ半島の街歩きで夜はカジノを巡り。
まずは朝食を食べに、昨日行ったセナド広場へ。天気は昨日と同じ曇り空。
黄枝記粥麵というお店に入る。これまた地球の歩き方に書かれていたお店。私の場合、食事の情報源は基本的には地球の歩き方。ネットとかも使えば選択肢は広がるんだろうけど、候補が多すぎて選びにくくなるし、場所をチェックしたり、口コミを見たりで結構大変なので、よほど地球の歩き方で行きたいお店がない限りはネットで調べたりはしないですね。
9:30くらいにお店に入ったが、ほぼ満席状態。普通の平日とはいえ、街の中心にある観光地の店だけはある。メニュー左上のワンタン麺を注文。オーダーしたら2〜3分くらいで出てきた。混雑している割には来るのが早い。
ワンタンが最高に美味しかった。ワンタンの中のエビがプリプリ。僕が今まで食べたワンタンの中でNo.1!スープも干しエビの出しが効いたあっさりスープで朝食にはぴったりなメニューでした。
朝食後は、昨日行けなかった、マカオ博物館へ行くことに。海外に行くときは必ずその国の博物館に行くと決めている。異文化の歴史を知れるというのはとてもおもしろい。じっくり時間をかけてみたいので、毎回半日くらいの時間を確保して行くようにしている。
朝食が軽めだったことと、マカオ博物館への道で買い食いができる店が並んでいることもあり、ふらっと買い食いすることに。2日目に行った、Lou Kau Mansion の向かいにあるKam Wai Beefという店へ。
牛の内臓をカレー味のスープで煮込んだもの。小サイズで30香港ドル(約400円)。店員さんが美人さん。ピリ辛で美味しい。ただ、内臓のお肉という点でいうと台湾よりかは日本の方が美味しいかも。
買い食いその2で、これまたマカオ博物館の通り道にあったお店で、ポルトガルタルトエッグをテイクアウト。これはどこの店にでも売ってるメジャーなお菓子。
大三巴街〜聖ポール天主堂跡と2日目に辿った道を通って、マカオ博物館へ。
中に入ろうとすると、自動ドアが開かず、いかにも今日は閉まってます的な雰囲気。よく見ると、この日は休館日でお休み!Closed on Monday!なんということ!
どうしようもないので、マカオ博物館は明日見ることにして、先に進むことに。
もともと午前中にマカオ博物館を見学して、セナド広場の近くにある、Mercado de S. Domingos(營地街場)で昼食を食べる予定だった。まだお昼を食べる時間ではなかったけど、これから歩き回るし、お店を探してさまようのも嫌だったので、營地街場でお昼ご飯を食べることに。
營地街場は市民の集まる市場。魚も肉も野菜も食材のほぼ全てはここで売られている。うっかり通り過ぎてしまいそうなくらい何も特徴のない入口。観光地じゃないから当然か。
G階は魚、1階は肉、2階は野菜売り場。ちなみにマカオのG階は日本でいう1階で、マカオの1階は日本でいう2階。マカオで表記される○階は日本では○+1階。慣れるまでは混乱する。肉も魚もそのままで売られているので、とても生臭い。長時間は居にくいね。。。とはいえ、庶民の台所を支える大事な場所。
ここの3階(日本でいう4階)に食堂がある。
G階と1階は生臭かったけど、3階は臭っていない。流石にあの生臭い匂いの中で食事をするのは躊躇ってしまうので、臭ってないのはありがたい。
お店が並んでいて、注文と会計を先にして、席で待っていると、店員さんが届けてくれる方式。別なお店で炒飯と餃子を注文して席で待つ。
牛肉の炒飯(35香港ドル(約450円))と揚げ餃子(12香港ドル(約160円))。中国(マカオ)に来たからには炒飯と餃子は食べておきたい。味は正直言って普通だった。ただ炒飯はお米がパラパラしててそこはさすが。炒飯に添えられた唐辛子が容赦なく辛くて、初めはそれを知らず、結構な量を炒飯と一緒に食べたんだけど、しばらく悶絶してました。唇がヒリヒリ、鼻水ダラダラ。途中から味がわからなくなってました(笑
餃子は皮が厚くてもちもちしてた。日本のような皮が薄い餃子とは違う。朝から食べてばっかり。
2日目はマカオ半島の中央部を歩き回ったけど、この日はマカオ半島の南西部を歩き回る。満腹で少し眠くなりながら街歩き。
まずは、Dom Pedro V Theatre(ドン・ペドロ5世劇場)へ。かつてここではオペラが開かれていたらしい。劇場の中は今でも現役で使えるんじゃないかと思えるくらい、綺麗な状態で残っている。
ドン・ペドロ5世劇場の道路を挟んで向かい側には聖オーガスティン広場。が、改装中で中には入れなかった。残念。。。
聖オーガスティン教会の横には、ロバート・ホー・トン図書館。マカオ最大の図書館。公共の図書館だけど立派な世界遺産。が、入り口のゲートが閉まっていて中に入れない。ゲートから中をのぞいていると、係りの人か来て、14時まで待てと言う。なんでも月曜日は14時から開館になるらしく、訪れた時は13時過ぎ。1時間も待つわけには行かないので、諦めて先に進むことに。(写真撮り忘れた。。。)
ロバート・ホー・トン図書館の隣には、Chapel of St. Joseph Seminary(聖ヨゼフ修道院)。中に入ろうとしたら、「No」と言われ、中に入れない。どうやら、修道院には一般人は入れないみたい。修道院に隣接する教会には入れるのだが、正式な入口があるので、そこから行く必要があるみたい。
しかし、ここまでの流れ、マカオ博物館は休み、聖オーガスティン教会は改修中で入れず、ロバート・ホー・トン図書館は開館時間がまだで入れず、聖ヨゼフ修道院にはなぜか入れないと、行くところことごとく入れない状態。なかなか悪運を引いてる。
ただ、後から地球の歩き方を見直して見ると、聖ヨゼフ修道院については中には入れないこと、聖ヨゼフ教会に入るには正式な入口から入る必要があることがちゃんと書いてあって、これは単に私の見落としだった。
ドン・ペドロ5世劇場の向かいには、聖オーガスティン教会。そして、聖オーガスティン教会、ロバート・ホー・トン図書館、聖ヨゼフ修道院は横並びで建っている。これら全てが世界遺産。世界遺産の密集地。とはいえ、ちょっと視線を変えると民家が密集して居て、過去の遺産と民家が一つのところに密集している。
正式な入口から、St. Joseph's Seminary and Church(聖ヨゼフ教会)へ入る。
聖堂が綺麗。そして、聖堂を背後に入口を見たときの景色も結構好き。教会内は聖堂がメインなコンテンツだと思うけど、建物全体の装飾とか、ステンドグラスとかも綺麗。どの教会もそうだけど、教会全体の装飾を見るのは、その教会内の雰囲気を含めてとても面白い。
聖ヨゼフ教会のすぐ側には、聖ローレンス教会。
聖ローレンス教会を後に、次はLilau Square Kiosk(リラウ広場)へ。
ただの広場のように見えるけど、実はこれも立派な世界遺産。本当にうっかり見落としてしまいそうになるくらいの普通の広場。
リラウ広場の側には、鄭家大屋。中国の著名な思想家のお屋敷。マカオでの最大規模の住居らしい。
お屋敷だけあって、入口が大きい。
中もとても広い。これが個人の建物だったとは。中は建物内の説明や、中の装飾物の展示がされている。ちゃんと見て回ったら1時間以上はかかりそうなくらいの広さ。
鄭家大屋を見ている途中で雨が降って来た。やりすごせるような振り方じゃなくなって来たので、傘をさしつつ街を歩く。これまで海外旅行をした中で、傘をさすほどの雨ってのはなかったな。でも、雨降る路地っていうのも悪くないね。写真だとうまく写らないけど、この路地はとってもいい雰囲気だった。雨の中、傘をさして歩く人とその路地を高いところから眺める。いい絵だ。
鄭家大屋の次は、主教山小堂(ペンニャ教会)。
空がどんよりしているから暗い写真になってしまったけど、晴れてたらいい絵になるんだどうなぁ。
教会内はこんな感じ。中はシンプル。教会の中ではシスターがオルガンを引いている。(小さいけど写真の右側に写っている)。オルガンの音が小さかったから、おそらく練習してたんだと思うけど、とはいえ、教会内に響くオルガンの音はとても神秘的。教会中にいる人は、シスターと私の2人だけ。しばらく椅子に座ってシスターの弾くオルガンを聞いていました。とても素敵な時間だ。
ペンニャ教会はペンニャの丘の上に建っている教会で、そこからは街が一望できる。まだ雨が降っていて空がどんよりしているけど、いい眺め。青空だったら、もっと綺麗だったんだろうな。まぁ、こればっかりは仕方ないか。
ペンニャ教会の次は、Moorish Barracks(港務局大棲)。
マカオは小さい国だから徒歩で大体のところには行けるけど、アップダウンが多いので意外と歩き疲れてくる。そして、路地が多く道を間違えやすい。ペンニャ教会から港務局大棲は道がわかりにくく、地球の歩き方の地図だと、路地を辿れば行けそうなのだが、どうしても行き止まりに会ってしまい、なぜか行けず。諦めて大きな通り(リラウ広場がある通り)に出て向かうことに。そうして着いた港務局大棲。
港務局大棲は建物自体は世界遺産だけど、中は港務局の事務所で、今でも現役で利用されている。中はロビーだけ見学ができる。私はそれを知らず、ロビーの先に行こうとしたが、警備員に止められてしまった。密集した建物の中にあり、大きな通りにあるわけではなく、建物の全体像を撮るのは難しい。かろうじてこの写真を撮るのが精一杯だった。
港務局大棲を後に、次は媽閣廟。マカオ最古の中国寺院だそうだ。媽閣廟に着いたあたりで雨も上がってきた。
マカオで見た中では一番広い廟だと思う。この廟は阿媽閣(A-ma-kok)という神を祀っており、この呼び名がマカオの由来となったとされているらしい。ここではよく日本語が聞こえた。学生の卒業旅行かなと思われるような集団もいたなぁ。廟に漂うお香の香り、この煙ったさ、いいね。
媽閣廟からはマカオタワーが見える。見たいところは一通り見れたし、雨も上がった。せっかくだからマカオタワーへ行くことにする。
マカオ半島の南西部には西灣湖という湖が広がっており、マカオタワーはその湖沿いにぐるっと回って行くことになる。(下の写真は西灣湖とその奥に写るマカオタワー。)
西灣湖の沿岸を歩いていると、向こう側には先ほど行ったペンニャ教会(写真中央部)とカジノ(写真右中央部)が見える。こうして見ると結構歩いてきたんだなぁ。
マカオタワー到着。このタワーはバンジージャンプで有名なタワー。なんでも世界最高地点からのバンジージャンプとしてギネスブックに登録されているみたい。せっかくだから塔の上に登ろうかと思ったけど、上に登るには、アトラクションのチケットを買うか、レストランのチケットを買わないと行けないらしく断念。バンジージャンプをするとかはないなぁ。心臓麻痺起こして死んじゃう(笑
結局マカオタワーでは何もしなかった。建物内を軽く見たくらい。
外に出ると、悲鳴が聞こえてくる。頭上を見ると、たまたまバンジージャンプをしている集団を発見。度胸あるね!思わず写真をパチリ。(写真はスカイジャンプという、ゆっくり降下するタイプのバンジージャンプをしている写真)
マカオタワーを出たのが、16時くらい。この日見たいところは見れたので、マカオ中心部に戻ることに。西灣湖の沿岸に沿って歩く。途中、可愛らいしいマスコットを発見。何かのキャラクターかな?
また、道中に不思議なモニュメントを発見。遠くでこれを見つけた時は、I Love Macau(我愛澳門みたいな)的な看板かなと思ったけど違った。なんのモニュメントかわからなかったけど、とりあえず記念に一枚。
(帰国した後で調べて見ると、雅文湖畔っていう名前のレジャー施設でした。これはモニュメントではなくて看板のつもりなんでしょうね。記念写真を撮りたくなるような雰囲気はあるものの、そういう類のものじゃなさそうですね。)
カジノエリアに戻って来て、時間が16:30くらい。まだカジノを巡るには早いし、夕食という時間でもないし、とはいえ、歩き疲れてもいたので、カフェに入って一休みすることに。
SKY21というバルコニーのあるカフェへ。夜はバーになって綺麗な夜景が観れるお店。
外の景色を見ようと思ったけど、外は靄がかかっていて、眺めは良くなかった。あと、休んでいるうちにまた雨が降って、雷もなって来て、眺めを見るという感じでもなくなって来た。
甘いカフェラテで一休み。
外もいい感じに暗くなって来たので、カジノを巡ることに。
昨日訪れたカジノリスボアに入る。カジノの中の雰囲気だと、カジノリスボアが好きだな。少しレトロな感じと会場の雰囲気はいい感じ。休日、平日の違いでミニマムベットが変わったりしないかなと思って、卓を見回って見たけど変わってなかった。そしてこの日は平日だったけど、昨日と同じくらい大勢の人がカジノにいた。お客のほとんどは観光客なのかな?確かにミニマムベットの値やこの街の雰囲気を見ると、現地の人はカジノに来れるようなステータスではないのかな。僕でも正直厳しいし。
カジノリスホアで遊ぶのはやめて、カジノリスボア内にある日夜というレストランで夕食。刀削麺と回鍋肉と焼豚のセット。あと、青島ビール。これで110香港ドル(約1500円)。豪華カジノのレストランにしてはリーズナブルな値段。
カジノデビューはダイヤモンドカジノというカジノで。大きくはないカジノで、ブラックジャックと大小のミニマムベットが安かったのでここですることに。
マカオのカジノといえばバカラなんだけど、ルールがよくわからず断念。事前に無料のオンラインカジノでバカラはやっていたんだけど、実際にバカラの卓でプレイしている様子を見てると、どうもオンラインカジノでやった感じと違う感じがして、よくわからなかった。
このカジノも写真撮影禁止のなので中の写真はなし。1時間弱ブラックジャックをする。ブラックジャックはディーラーとのやりとりを会話ではなく全てハンドサインで実施する。ヒット、ステイ、ダブルなどのコールは口頭で言っても受け付けてもらえない。全て手の動きでコミュニケーションをとる。面白い。初めの2〜3回は戸惑ったけど、慣れてしまえば後はスムーズ。
ダイヤモンドカジノのブラックジャックは、トランプの山がなくなるまでその山の中からカードが配られるので、カウンティングとかをすれば、カードを予測できるし、少し勝率があがるかなと思ったけど、いきなりそんな芸当ができるわけもなく、普通にプレイする。
結果は、1時間もたずに2万円が消えました。。。ビギナーズラックはなかったね。初め手元には1500香港ドルあって、一時期2000香港ドルを超えて、その前後を行ったり来たりしたんだけど、徐々に負けて来て最後はすっからかん。
ずっとミニマムベット(100香港ドル)でかけ続けていて、多分ディーラーからはこいつケチくさいなと思われていた気もするけど、勝つことより楽しむことを目的としてたのでまぁよしと。ただ同じの卓にいた人はもっと気前よく掛けてたので、こんなちびちびかける人はいないのかなぁ。
ブラックジャックの後は大小の卓に行く。しばらく様子を見てたけど、結局大小はやらなかった。
大小はサイコロを3つ振って、出た目の大小、合計値、ゾロ目など、出る目を予想してベットするルールなのだが、サイコロゲームなので結局は確率のお話になる。で、当たった時の配当なんだけど、その値はサイコロで出る確率よりも小さい値が設定されている。配当が小さいもの(2倍)は、その目が出る確率(1/2)と同じなんだけど、配当が小さいから、賭け手からすると面白くないところ。配当が大きいものは、その配当よりもその目が出る確率が小さいので、かけ続けると確率で負けてしまう。そういうディーラー有利なゲームなんだなと思ってしまうと、一気に遊ぶ気が失せてしまった。
そうなると、大小で遊んでいる人はどういう戦略で勝とうとしているんだろうか。確率的に分の悪い勝負なのに、何か勝てるような戦い方があるのだろうか。深夜特急の中では、ディーラーはサイコロの出る目をある程度操作できると書いてあり、確率というよりかは、ディーラーとの読み合い勝負のゲームであるとあった。本当にそうかなと思いしばらくゲームを見ていたけど、本当のところはわからなかった。
大小がそうであったように、ブラックジャックやバカラといった他のゲームもディーラー有利なのだろうか。ゲームの仕組みを理解すれば見えて来るのかな。
ブラックジャックでいうと、ディーラー対プレイヤーで、1対多の勝負になるので、他のプレイヤーの掛け金やカードの強さによって、自分の動きを変えれば単純にカードの強さだけの勝負(確率の勝負)ではなく、 戦略で勝率が上がったりはするんだろうなと思った。
お金は擦ったけど、割と楽しみ満足したので、21:00くらいにカジノを出る。
ホテルの近くにセブンイレブンがあり、そこで夜食を買ってホテルに戻る。ちなみにマカオのセブンイレブンには日本製品の物が日本語そのままに売られている。(下の写真は全て日本語で書かれた商品だけど、ちゃんとマカオでとった写真です。)
夜食は、マカオのカップヌードルと見たことないビール。カップヌードルは海鮮カレー味。日本のシーフードヌードルとカレーヌードルを合わせたような味。予想した通りの味だった(笑。Blue ICEは香港のビールみたいね。
この日も日中は街歩き、夜はカジノと一日中楽しんだ!
3日目終了!4日目に続く。
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4日目以降は下記をどうぞ。