5月13日

忘れられない日というのがある。忘れたくない日というのがある。

5月13日は、私にとって、そういう日。

良い日か、良くない日かと言われると、たぶん良くない日だ。

なぜ「たぶん」という表現を使っているかというと、時間が経つにつれて、だんだんと当時のことを忘れていって、だんだんと当時の気持ちが薄れていって、ふと、あの出来事に対して、どう向き合っていくのかが、わからなくなる時があるからだ。

5月13日が良くない日になったのは、もう10年以上も前の話。学生時代の話だ。

10年以上も時間が経っているなら、いろんなものが薄れていくのも当然なのかもしれない。

さすがに、5月13日という日は忘れない。

ただ、5月13日という日を単に覚えている”だけ”な気がしている。

5月13日という日を思い出しても、何の情緒も湧いて来ない時がある。自分でもとっても気持ちが悪い。単に出来事だけを覚えているだけで良いのだろうか。

当時の気持ちを忘れたくないと思いつつも、やっぱりどんどん忘れていく。

10年以上前のこの日、僕らは過ちを犯した。周りに迷惑をかけた。それで長い間、気持ちが沈んでいた。それは思い出せる。

ただ、断片的にしか思い出せなくなっている。深いところの想いまでは思い出せない。

忘れたくないと思いつつも、だんだんと忘れていっている。

人間は忘れる生き物だ。
人間は忘れることができるからこそ生きていける。

という言葉はよく聞く。否定はしない。正しい。

ただ、忘れたくないと思っていることまで忘れてしまうっていうことは、悲しいことのように思える。

その日以降、毎年5月13日は、関係者でその場所に集まり、せめてもの償い、戒めとして、その場所のゴミ拾いをしている。

社会人になるまでは、たしか毎年、5月13日にその場所を訪れていたはず。「たしか〜はず」という表現を使っているのは、社会人になるまで毎年行っていたかどうかすら思い出せなくなっているから。

社会人になってからは、地元を離れてしまったので、ずっと訪れていなかった。去年、5月13日は、土曜日で休日だった。社会人になって初めて行くことができた。

今年は日曜日。来年からまた5月13日は平日になるので、もしかしたら、行くのが今年最後になるかもしれないと思い、行くことにした。

行かないと一生後悔する気がした。集まった人は少なかったが、それでも当時を知っている人たちがそこにはいた。

ゴミ拾いをしつつ、当時のことについて想いに耽る。
当時のことを、忘れていたものを、思い出したかというと、そういうわけではない。

ただ、なにか、心の底から気持ちをプラスの方向に引き上げてくれるような、何かが湧いてくるような気がした。初心というやつだろうか。うまい言葉が見当たらない。

当時はその出来事を思い出すのが辛かった。今は、落ち着いてその出来事に向かい合い、その事実を受け止め、これからの自分達、関係者の人達にどう活かしていくかを考えられるようになった。良くない日であることは今も変わりはないが。

ゴミ拾いをしながら、改めてそういうことを思った。
この場所で、改めてそういうことを思えたのは嬉しい。

これからも、どんどん忘れて行くだろう。その中でも、今回思ったことだけは忘れないでいようと思う。

今日一緒にいた、同期のS、一つ下のI、二つ下の、S、K、S、Y、当時のメンバーではないが、八つ下のM、今日はありがとう。

そして、今年の5月13日はちゃんと言葉に残しておこうと思う。
この日を忘れないために。

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