15年目のYOSAKOIソーラン祭り
毎年6月の第2週、北海道は札幌で、YOSAKOIソーラン祭りが行われている。
今年も6/5(水)~6/9(金)の日程で開催された。私も6/7(金)から札幌入りして、3日間お祭りを楽しんで来た。
私は2005年に大学のYOSAKOIソーランサークルに入部して以来、このお祭りにはずっと関わっている。今年で気付けば15年目になっている。
大学生の時に4年、社会人になってから1年、チームの踊り子として参加し、それ以外は大学の時に所属したYOSAKOIサークルのOBとして、後輩の応援&観客として参加している。
踊り子としてガッツし踊っていた時から10年以上が経つ。チームのOBとして見ると、OB歴12年目だ。干支が一周してしまうくらいの時間。当然ながらOBの中でも古い方の人間だ。
若いOBも古いOBも、このお祭りの時にはみんな札幌に集結して、みんなで現役のサポートをするわけだが、やはり年々、かつてから知っているOBの参加は少なくなり、私の知らない若いOBが増えてくる。当然ながら現役の人は全く知らない。
どこか物寂しい思いにならないかといえば嘘になる。確かにそういう思いに駆られるのは事実だ。だけど、毎年このお祭りに行くのは楽しみだし、毎年行ってよかったと思えている。そしてそれは今年もそうだった。
彼ら(現役)は、ファイナルステージに立ちたい、大賞を取りたいという思いでまっすぐだ。純粋に全力でひたむきだ。その姿はまさに青春そのものだ。その姿を見ていて、心の底から湧き上がってくるものがある。見ててゾクゾクするし、本当に心が揺すぶられる。
そしてその姿は、かつて自分たちがそうであった姿で、だからこそOBになってもその姿は応援したくなる。当時の自分たちの姿を今の彼らに重ねているところもあり、応援には熱が入ってしまう。
一回り年の違うOBと一緒になって、現役たちを応援する。OBが一緒になって、心の底から応援して、声が枯れるまで声援を送る。
年を取っても想いは同じ。現役を応援する気持ちには変わりはない。OBになっても、仲間と一緒に、こういう純粋な想いから行動できるというのは嬉しいことだ。こういう時間がとてつもなく心地いい。これもまた一つの青春だ。
仲間と想いを一つに純粋な気持ちで行動する。これを青春と呼ばずになんというか。OBになっても青春。いいじゃないか。
社会人になると、仲間と一緒に純粋な想いで行動するということがなかなか難しい。
仕事でこういう思いはそうできるものではない。というか、全くと言っていいほどない。だからこそ、こういう場面で、そういう想いに触れ、そういう想いを思い出すことは大事だと思う。
そして、こういう想いは、頭の中で思い出すのではなく、心(五感)で感じるものであるとも思う。だからこそ、こういう場面は定期的に関わるようにしたい。
そう思える時間を持てていること、そのような場を持てていることに感謝だね。そしてOBとして、そのような想いを持って関わることができるのも、今の現役たちがチームを作り、次の世代に繋いでいてくれているからであり、それには確実に感謝だね。
僕は恵まれていると思う。
今年、結果としては、現役たちはファイナルステージに上がることはできなかった。残念という気持ちがないわけではない。当然ながらファイナルステージには上がって欲しかった。だけども、それ以上に、現役には今の環境を最大限利用して、楽しんでほしいという気持ちが強くある。それができているのであれば、私としては、結果はさておき、満足であるのだ。
少なくとも、お祭りが終わるまで、現役の顔はとてもいい顔をしていた。その顔を見れて、安心したし、心から良かったと思う。
YOSAKOIソーラン祭りの後も、現役の活動は続いて行くが、これまでの縁、これからの縁を大切にしつつ、今の環境を最大限利用して楽しんでほしいと思う。
なんというか、心が若返った3日間だった。
来年も行こう。